179(擁護派)のモノ置き場

備忘録兼の歴史小ネタ用ブログの予定です

◆目指せ、畠山六兄弟コンプ

まず当面の目標として、畠山六兄弟についてまとめることを目指したい。
とはいえ、普通の人には「畠山六兄弟? なにそれ?」となること受け合い。
なので説明すると畠山六兄弟とは、畠山尾州家当主畠山稙長と、史料上で確認できるその5人の弟たちのことである。
それでも多分「畠山稙長? なにそれ?」となりかねないんだろうけどね!

以下、簡単な略歴を記しておく。
関連記事ができれば、随時リンクを追加していきたい。

◆畠山稙長

畠山尚順の子。
生涯において細川高国党の最右翼として活動した。
一時は紀伊に没落に追い込まれ当主をすげ替えられるも、紀伊諸勢力を広域に渡って糾合することに成功し、その兵力でもって当主に復帰。
その後も細川氏綱の擁立を計るが、志半ばで急死。

◆畠山稙長の生年 

◆天文法華の乱における畠山尾州家の動向(遊佐長教との対立時期について)

◆石垣畠山長経

畠山稙長の弟とされる。
畠山氏の分家、石垣家(紀伊国有田郡石垣荘を本拠とする)を継いだと伝わる。
天文の本願寺戦争の最中に稙長が紀伊に没落し、代わりに尾州家当主として擁立された人物。
が、やがて史料上から姿を消す。

◆石垣畠山長経について

◆和泉下守護細川晴宣

畠山稙長の弟。
細川京兆家一門である和泉下守護家を継ぐ。
以降在京時は細川一門として行動し、反細川高国方の挙兵には和泉守護として防戦にも当たっている。
桂川合戦を機会に没落に追い込まれ、大物崩れで討死したとみられる。

◆和泉上守護細川晴宣について - 179(擁護派)のモノ置き場

◆畠山播磨守晴熈

畠山稙長の弟。
幕臣畠山播磨守家を継ぐ。
長経の後に尾州家当主を継ぐが、やがて自ら家督を返上する形で辞める。
その後は幕臣としての立場に戻ったようで、後に伊予守に叙任されている。

◆宮原畠山政国

畠山稙長の弟とされる。
畠山氏の分家、宮原家(紀伊国有田郡宮原荘を本拠とする)を継いだと伝わる。
後に播磨守家を継ぎ、更に尾州家当主(名代という形のようだが)となる。
稙長没後の細川氏綱の乱では遊佐長教と共に主力を担うが、江口の合戦の際に長教と反目して紀伊に遁世、後に子の高政が当主となる。
江戸期に高家として残った畠山家は政国の子孫である。

◆畠山中務少輔基信

畠山稙長の弟。
幕臣畠山中務少輔家を継ぐ。
天文の本願寺戦争では稙長の方針に従い本願寺に加勢する、
また稙長の紀伊没落にも従ったとみられ、稙長の高屋城復帰の際に同行している。