◆畠山稙長の生年
言わずと知れた(言わずと知れた?)畠山尚順の嫡男、
終身名誉細川高国ファンクラブ会員、細川氏綱のパトロンこと畠山稙長。
彼の生年についてだが、従来は『両畠山系図』などの享年42歳という記述から逆算し、永正元(1504)年とされてきた。
しかし、最近になり小谷利明氏が『畠山氏の権力構造と文書発給』(中世後期の守護と文書システム)内である指摘を行っている。
それは『守光公記』永正7(1510)年4月29日条で、代始を行った畠山鶴寿丸(稙長)を「当年二歳云々」と記しているとのこと。*1
つまり一次史料から推察される稙長の生年は永正6(1509)年となる。*2
そうなると各イベントにおける稙長の年齢は
元服:永正12(1515)年 7歳
家督相続:永正14年(1519) 9歳
父尚順の失脚:永正17年(1520) 12歳
桂川合戦:大永7(1527)年 19歳
天文法華の乱:天文元(1532年)年 24歳
河内守護復帰:天文11(1542)年 34歳
急死による死去:天文14(1545)年 37歳
稙長は若年から活動が見える分、年齢が更に5歳若くなることでイメージも随分変わるのではないか?
これにより「こんなに若いのに頑張っていたんだなぁ」「この歳で急死したのは痛すぎる……」と思う方が増えれば幸いである。むしろこの説を前面に押し出すのは半分くらいそれが目的である。
冗談はともかく、『守光公記』の記述は伝聞(云々)の形ではあるものの、幼子の年齢を大きく間違えはしないだろうと考え、以降の考察ではこれに従いたい。